日本家族研究・家族療法学会第30回東京大会へのお誘い
日本家族研究・家族療法学会第30回東京大会を,東京スカイツリーを間近に控える「タワーホール船堀」(東京都江戸川区)で開催いたします。今年のテーマは「家族療法のこれ から-30年の蓄積をいかに活かすか-」です。中村伸一大会長はじめ大会準備委員会は 大会開催に向けて張り切って準備を行っております。
今大会は,学会として今まで成長蓄積してきた学術的資質,認定スパーバイザー等の教育システム,東日本大震災の被災者(家族)の援助に向けて活動中の社会支援システムの 構築等,未来の学会のあり方を見据えたテーマとしております。
メイン会場である大ホールでは,大会期間中休むことなく大会企画のシンポジウムを開いています。動くのが億劫なかたは,ずっとメイン会場に座ったままでも充実した時間が過ごせるようになっています。研究報告・研修事例・自主シンポジウムには比較的小さな部屋を用意し,会員同士で活発な討議や交流が可能なように工夫しています。3 日目のワー クショップは中村会長の剛腕によりなんと 11 テーマのメニューをそろえることができました。ワークショップは参加人数に制限がありますので,早めにお申し込みください。一般 市民向けの公開講座ももちろん忘れていません。
大会初日の夜には,東京スカイツリーを真横に仰ぐ「スカイツリータウン・スペース634」(東京ソラマチ)で交流会を開きます。まさに大会ホームページにある光景をワイン 片手で見ることができます。会員同士の上質な語りを楽しんでください。大会会場からソラマチまでは送迎バスを用意しています。こちらも人数限定ですのでお早くお申し込みください。
詳細は大会ホームページにあります。随時,最新情報を掲載しますので時折のぞいてみてください。参加登録はすべてホームページから行います。興味ある非会員の方へのお声かけ,職場などでのポスターの掲示等をお願いできれば幸いです。
期日:大会 2013年6月21日(金),6月22日(土)
ワークショップ&公開シンポジウム 6月23日(日)
会場:タワーホール船堀(〒134-0091 東京都江戸川区船堀 4-1-1)
交流会:スカイツリータウン・スペース634(東京ソラマチ)
大会ホームページ: http://www.jaft30.net/index.php
大会事務局:東京都文京区本郷4-12-16-616
大会事務局長:岡本吉生(日本女子大学)
無人島に持っていきたい一冊
獨協医科大学越谷病院 尾形広行
「システムって?」
「無人島に持っていきたい一冊」、えっ?この学会の NL という文脈で…。正直何を書けばいいのかよくわからないので、最近考えていることを書きたいと思います。私は幼い頃 からサッカーをしていて、大げさですけどサッカー人生だったと言っても過言ではありません。そのせいか、いろんなことをサッカー的に考える癖があります。家族療法というモ ノの見方にとても興味を持ちましたが、私には中々馴染みませんでした。しかしあるとき急に「サッカーのように考えてみたら?」と思ったのです(なぜかはよくわかりませんが)。 もちろん正確には違いますが、私には家族療法を理解するメタファーとして十分役立って いるのです。
例えばシステム、サッカーではフィールドプレイヤー10人の配置の仕方です。監督の好 きなシステム、選手に合わせたシステム、または相手チームに合わせたシステムなど数限 りなくあります。日本代表のザッケローニ監督は 3-4-3 が得意だと言われています。家族療法では言わずと知れた「家族システム」、「治療システム」です。サッカーのシステムはもちろん家族ではないですが、味方同士の相互作用、相手との相互作用、そんなふうに考えてみると家族療法が理解しやすくなり、楽しくなるのです。このような事情で私がお勧めするのが、「ラ・ロハ スペイン代表の秘密」という本です。2010 年の南アフリカワールドカップで優勝したスペイン代表のフィールド内外での選手同士の相互作用や選手と 監督の相互作用、他のスタッフとの相互作用などが詳細に書いてあります。この本を読んでいると、サッカーはもちろんのこと、患者さんのことやその治療戦略などが頭にでてくるのです。最初は戸惑いましたが、それが自分の特性だと思い始めています。この学会にサッカー好きの人がどのらいいるのかはわかりませんが、「どうですか?サッカーをメ タファーにして家族療法を考えてみませんか?」
無人島で読む「もの食う人々」
日野町福祉課 米田一実
「無人島」と聞いて考えたことは二つ、生きるための食べ物を自分で確保しなければならないということ、そして、人と関わることができない状況で、たったひとりで自分の気持ちを支えなければならないということだった。これを考えたときにふと浮かんだ本が、辺見庸の「もの食う人々」だった。
飽食の国日本から、飢えに苦しむ人々や戦争で傷ついた人々がいる国、様々な国へ旅をし、そこでの食を知る。食べるということが、生活の中でどういう位置づけになっているのか、食べることの背景に様々な事情があることが書かれている。食には、国や地域の文化だけでなく、そこに生活する人々それぞれの生活事情が滲む。食を通して、人々の生活や考え方、そのときどきの事情が語られる。毎日生活している中で当たり前のように使う食材、調理法、食べ方があたりまえでなく、文化、自分の生活スタイルやふところ事情、社会的な文脈に基づいていることに気づく。
この本を無人島で読んだら、人はどんな環境にも適応することができるのではないか、落ちこまなくても考え方を変えればここで生きる希望が持てるのではないか、と思える気がする。今、異常だと思っていること、選択肢にないことは、自分がそれまで生きてきた環境に依存している。これからの人生には、いろいろな選択肢があり、可能性が広がるということを実感できる。そう考えると、無人島に 1 人でいることの寂しさだけに目が向くことはなく、いろいろなものの見方ができるのではないか、そして、島内を歩いてみるとその日の食事のアイデアが浮かぶのではないか、と期待してしまう。
ここまで書いて、やはり、自分は食いしん坊であり、無人島と聞いて悲しくなるほど、周囲の方に支えられていきているのだと思った。