Japan Association Family Therapy

News Letter No.69 (2010/02/09)

福島と家族支援

渡辺隆
(福島大学大学院)

 6月4日から6日まで福島県郡山市ビッグパレットで27回大会が開催されます。大会テーマは「リスクフャミリーへの臨床」で、大会講演、シンポジウム、演題発表、臨床報告、ワークショップなど豊富なプログラムが準備されています。詳しい内容は大会ホームページをご覧いただくとして、今回は開催地の福島のご紹介をいたします。

福島は意外と東京から近く、新幹線で大宮から一時間で郡山市に着きます。福島から東京まで通勤する人もいます。会場のビッグパレットは郡山駅からバスで10分です。JALは撤退してしまいましたが福島空港も近く、伊丹と千歳から定期便があます。

さて、福島は昨年大会が開催された広島と共通点があります。どちらも戦争で大きな打撃を受けたこと、それ以前は文化や政治の重要な地方の拠点だったことなどです。ただし福島(会津)で戦争とは戊辰戦争を指します。戦争で「家族」は大きな打撃を受けました。広島大会の記念講演で平岡前広島市長が原爆孤児のことをお話されました。原爆によって学童疎開をしていた6500人以上の子どもが家族を失ったこと。そして、被爆から4ヵ月後に広島戦災孤児育成所が開設され、家族をなくした子どもたちはここで成人していったことなどです。国内の児童養護施設のほとんどは戦後の混乱した時期に生まれています。一方、戊辰戦争でも多くの戦災孤児が生まれました。福島大学のすぐ近くにある児童養護施設福島愛育園はそのときに開設されました。これらの施設は子どもや家族への援助に関して重要な役割を果たしてきました。

福島は野口英世の出身地ですが、生家のある猪苗代町は郡山市の隣です。野口英世の生涯はアルコールとギャンブル依存症の家族と自らの身体障害、貧困を克服するものがたりと言うことができるでしょう。二本松市には高村光太郎の妻智恵子の記念館があります。光太郎と智恵子の人生は言うまでもなく統合失調症の妻を支える夫婦のものがたりです。二本松市も郡山市のすぐ隣です。どちらも生家が記念館になっています。関心のある方はぜひお寄りください。

福島を代表する山の安達太良山(地元では山頂の形から乳首山と呼ばれ智恵子抄にも登場)や吾妻山はどちらも母や恋人を示す言葉です。山岳道路やゴンドラリフトなどが整備され愛好家に高い人気があります。このように福島は家族援助となじみのあるところです(?)。家族団らんといえば温泉です(?)。福島には温泉も豊富で、特に郡山市はあちこちにあります。どこを掘っても温泉が出るようです。病院や施設はもちろん一般の企業や個人でも温泉の所有者がたくさんいます。ぜひお楽しみください。

以上かなり強引に福島と家族援助の関連についてご案内させていただきました(?)。今回は紹介できませんでしたが、もちろん福島にはおいしい食べ物と飲み物があります。小原庄助さんはアルコールと温泉依存で破産した家の話ですね。飲み物と食べ物については大会当日にご紹介したいと思います。お会いできることをこころより楽しみにしております。

行政組織の中の臨床家のジレンマ

衣斐哲臣
(和歌山県子ども・女性・障害者相談センター)

テーマを聞いてすぐに浮かんだケースがある。思い出せば今も忸怩たる思いに撃沈する。さほど昔ではない。今から数年前のことである。悪循環に巻き込まれ、脱出法どころか中途で上司に任せて私のほうが脱走したのだから最悪だ。そんな事態から私が脱出したとすれば、その後、学会の倫理研修ケースとして提出して参加者のコメントに浴し、ケースをまとめ一定の考察をし、自分なりにせめてものけじめをつけようとしたことだろうか。

ケースの相手は50代女性。施設入所中の重度知的障害のある20歳の子どもの母親で、理不尽で強迫的な訴えを繰り返し、子どもの成人施設への措置変更を拒み続けた。10年前の施設職員の態度を謝罪せよと言い、諸々些事への繰り言を慇懃に延々と述べた。1時間半の設定で面接を切り上げても、じきに別の職員をつかまえ2~3時間。納得し帰ったと思ったらまた現れ、最初から同じ話を繰り返した。電話は、応対した職員相手に2時間はざらだった。これが1ヶ月以上続いた。職場機能は一部停滞し、私の職務も滞った。沸き起こる怒りの感情に自己コントロールを失った。上司に対応を任せ、私は身を引いた。

もし母親自身が強迫行動の改善を望んでいれば、他の職員の応対にも制約をかけ面接を構造化することができたかもしれない。しかし、そうではなかった。この状況で必要なのは、子どもの処遇を進めることであり、母親の強迫の病理につきあうことでも治療することでもなかった。臨床家ではなく、組織の一員として行政執行することが求められた。最終、強制執行により子どもは施設を変わり、母親の繰り言の対象は他機関に移った。当所への連絡はあっさりと途絶えた。

どんなケースもコントロール可能で治療できるものという不遜な幻想や専門家の傲慢が、私の中にまだあったことを発見した。この不遜を戒めると同時に、現在身を置く行政機関である児童相談所システムの一資源として私自身をズームアウトし、メタ・ポジションから自分を眺めた、資源活用の仕方を改めて再認識することとなった。

屋上面接

大西 勝
(岡山大学保健管理センター)

 『人生最大の最悪面接脱出法』が事務局から与えられたテーマである。真っ先に頭に浮かんだのは、今から20年ほど前、精神科医2年目のときの出来事である。当時、私が研修する病院では、境界性人格障害の入院治療を積極的に行っていた。私も数名の患者を受け持っていたが、その中に、1週間に32回のリストカットという大記録を持つ女性がいた。

ある日の夕方。医局会の最中、「5階の屋上の塀に精神科の患者が上がっている!」との連絡が入ってきた。医局会が中断され、医局員たちが走り出す。“もしや、彼女では?”胸騒ぎがしながら、私も後に続いた。

予感は的中していた。塀の上には彼女が立っていた。数名で彼女に近づいて行く。突然、彼女が「先生(私)以外は来ないで!」と叫んだ。他の者は足を止め、こちらを見る。仕方無い。私一人で行くしかなかった。

彼女に近づきながら、「危ないから降りなさい」と言って手を差し出すと、彼女は「イヤー!」と叫び、後ずさりした。危ない! 本気で飛び降りる気はないだろうが、何かの弾みで、足を滑らせることもある。刺激しないように、少し離れて、声をかけ続けた。

振り返ると、大勢の人が集まっている。隣接する建物の窓にも、たくさんの人影が見える。まるでコロシアム(円形闘技場)である。徐々に夕闇が迫ってくる。彼女は一向に降りてこようとしない。絶対絶命のピンチである。

そのとき、私の頭の中で、刑事ドラマ『太陽にほえろ』のテーマ音楽が流れ始めた。“こんなとき、どうしたっけ?”気分はジーパン刑事、松田優作である。妙に気持ちが落ち着いてくる。ふと、彼女がタバコを吸うことを思い出した。私はその場に座ると、あぐらをかき、タバコに火をつけた。そして、もう一本取り出し、彼女に勧めた。「吸う?」、彼女は小さくうなずき、塀の上から降り始めたのである。

・・・若かりし日の思い出である。

「壺イメージ療法から見えてきた臨床の知恵」

久持修
(やまき心理臨床オフィス)

 東日本催眠療法研究会主催「催眠と壺イメージ療法―トランス空間と壺中の天地を楽しむー」という研修会に参加してきました。

まず、講師の鹿児島大学大学院、松木繁先生から壺イメージ療法について事例を交えながら大変わかりやすく教えていただきました。その中で印象に残っているのが、壺イメージ療法はとにかく安全に行うための工夫がふんだんに盛り込まれていると言うことです。クライエントにとって安全なのはもちろん、セラピストにとっても「不用意にクライエントに侵入することから守ってくれる」安全弁を備えているそうです。壺イメージ療法を生み出した田嶌先生は今も新たな分野で「安全性」にこだわっておられるということで、「安全性」に対するかたくなとも言えるこだわりから壺イメージ療法が生まれてきたものだと感じられました。

そして、松木先生の壺イメージ療法のデモンストレーションを見させていただきました。これがとにかく「すごい!」ものでした。印象を一言で言うと「丁寧」です。何も奇抜なことやテクニカルなことをしているようには感じさせられず、とにかく丁寧にクライエントの体験に寄り添って言葉をかけておられたように見えました。しかしながら、それらの言葉が出てくる前提として、非常に精緻にクライエントを観察されているのです。先生は細かな身体の観察のみならず、身体全体の様子も同時に観察されておりました。さらには、セラピストとしての自分自身の身体の感覚をも同時に観察の対象とし、時としてそれを使ってみることもあるということでした。

私は、この研修会に参加して、壺イメージ療法の技法を学んだと言うよりも、セラピストとしての基本的な姿勢を学んだように思います。クライエントにとっての安全とセラピストにとっての安全に配慮すること。そして「丁寧さ」。その「丁寧さ」は精緻な観察に裏づけられており、この「丁寧さ」につながる精緻な観察こそ、私が今後研鑽をつんでいくべきことなのだと思いました。

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